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逝去のこと。

1998年(平成10年)12月の初旬にジャイアント馬場は、地方巡業先で、微熱が下がらないなど体調不良となり、巡業先での試合出場を取りやめ、秘書の仲田と共に帰郷することになる。

早速、病院で検査を受けた結果、大腸癌の末期で、他の臓器にも転移が見られることが判明する。

当然、年末恒例の海外旅行をキャンセルし入院となる。

この事は(馬場の病状のこと...大腸癌の末期で、他の臓器にも転移)、しばらく、元子夫人にしか知らされてず、看病をしていた仲田やレフリーの和田京平らにも告げられなかった。

また、馬場本人にも告知されることは無かったとのことです。

元子夫人の意向で手術を行ったものの、もはや手遅れの状態で最低限の処置しかできなかったとの事です。

年明けには集中治療室に入り、意識も次第に無くなっていったという。

「特別室に帰りたい」との馬場の望みに従い、集中治療室から特別室に移し、延命措置も取りやめた。

馬場はそこから2日間生き続けたが、1999年(平成11年)1月31日、東京医大病院にて、大腸癌の肝転移による肝不全により61歳で亡くなる。

妻の元子さんの意向により外部には命が危ないことを一切漏らしておらず、最期を看取ったのも元子夫人、姪の馬場幸子(全日本取締役)、実姉のほか、レフェリーの和田京平と秘書の仲田龍のだけであった。

このことは、当時役員だったジャンボ鶴田やエースでマッチメイカーの三沢光晴、全日本の重鎮だったジョー樋口にさえ知らせていない。

後日、1999年(平成11年)4月17日に日本武道館でファン葬が催され、3万8000人が参加した。

ジャイアント馬場2.gif


ジャイアント・馬場は、心も体もデッカイ人でした。!!(のトップ)に戻る
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