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猪木を"弟分"と考えていた。

アントニオ猪木との会社同士の戦いは、まさしく死闘でした。

お互いに憎み合った時代もあった事は事実だと思います。

でも、同じ青春時代を"日本プロレス"で過ごした、"同じ釜の飯を食った仲"としての友情(仲間意識)は、お互いにあったようです。


『アントニオ猪木が初渡米武者修行でロスに乗り込んで来た。
3月の初めに豊登とともにハワイに入り、特訓と実戦を積んで、単身米本土に渡って来たのだという。

私は芳の里、マンモス鈴木と一緒だったが、それでも不安で震えながらロスに着いた時の自分を思い出した。

猪木は私より5才年下だが、だいぶしっかりしている。

そのころの私は、猪木を"弟分"ぐらいに考えていた。

一緒に中華レストランで食事をした後、私は持っていたドルを、「俺はもう、要らないから」と猪木のポケットに押し込んだという。

実は、大した金額ではなかったので、私はこの事を忘れていた。

それを思い出させたのは元新日本プロレス専務取締役営業本部長の新間寿で、つい2~3年前のことだ。

私と猪木が犬猿の仲と言われていたころ、新間が私の悪口を並べ立てると、猪木がこの話をして、

「あの時は本当に嬉しかった。俺たちにはそういう時代もあったんだ。

同じ釜の飯を食ってないお前が、あまり悪口を言うな」とたしなめたという。

新間からそれを聞かされて、「あっ、そうだったかな」と思い出したというわけだ。

たしかにレスラー同士には、どんなにいがみ合っていても、レスラー経験のない人からそのレスラーの悪口を言われると、気を悪くすることがある。

「喧嘩はレスラー同士がやる。背広派は黙ってろ!」と言いたくなるような、不思議な連帯感みたいなものがあるのだ。

プロレスラーというのは、特に日本では選手数の少ない、きわめて特殊な職業だからかもしれない。

力道山の直弟子たちに、特にこの傾向が強いようにも思う。』

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