1960年(昭和35年)4月には日本プロレス(日プロ)に入団後、その年の9月には、プロレスラーとしてデビューしています。
翌年の1961年(昭和36年)7月1日にはもう初渡米をしています。
同じ年に入団したアントニオ猪木と比べても力道山の馬場への期待がよくわかります。
アメリカでの修行時代、確かに大変な事はあったとは思いますが、その当時の活躍をみると、あっという間にトップレスラーの仲間入りをしています。
何度かアメリカに渡り、数々のタイトルに挑戦しています。
その当時の馬場の事を"日本人として初めてアメリカで成功したレスラー"と紹介しています。
アメリカ時代のリング名は、当初は本名の馬場正平(ショーヘイ・ババ)であったが、
"ババ・ザ・ジャイアント"、"フランケンシュタイン・ババ"とか"ビッグ・ババ"などと呼ばれていました。
その当時の対戦相手も現役NWAやWWWAチャンピオンとか、実力名声共にビックネームばかりです。
その当時に対戦した相手や知り合ったレスラー達が、その後のジャイアント馬場としての人脈となっていきます。
特にブルーノ・サンマルチノとの友情は生涯変わらず続いていたということです。
ジャイアント・馬場は、心も体もデッカイ人でした。!!(のトップ)に戻る