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        <title>ジャイアント・馬場は、心も体もデッカイ人でした。！！</title>
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        <description>日本のプロレス界の２大スターは、ジャイアント馬場とアントニオ猪木です。
プロレスの王道を唯一筋（ただひとすじ）に歩んで行った偉大なる巨人、ジャイアント馬場のことをお話してみたいと思います。</description>
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            <title>猪木を&quot;弟分&quot;と考えていた。</title>
            <description><![CDATA[アントニオ猪木との会社同士の戦いは、まさしく死闘でした。<br /><br />お互いに憎み合った時代もあった事は事実だと思います。<br /><br />でも、同じ青春時代を"日本プロレス"で過ごした、"同じ釜の飯を食った仲"としての友情（仲間意識）は、お互いにあったようです。<br /><br /><br />『アントニオ猪木が初渡米武者修行でロスに乗り込んで来た。<br />3月の初めに豊登とともにハワイに入り、特訓と実戦を積んで、単身米本土に渡って来たのだという。<br /><br />私は芳の里、マンモス鈴木と一緒だったが、それでも不安で震えながらロスに着いた時の自分を思い出した。<br /><br />猪木は私より5才年下だが、だいぶしっかりしている。<br /><br />そのころの私は、猪木を"弟分"ぐらいに考えていた。<br /><br />一緒に中華レストランで食事をした後、私は持っていたドルを、「俺はもう、要らないから」と猪木のポケットに押し込んだという。<br /><br />実は、大した金額ではなかったので、私はこの事を忘れていた。<br /><br />それを思い出させたのは元新日本プロレス専務取締役営業本部長の新間寿で、つい2～3年前のことだ。<br /><br />私と猪木が犬猿の仲と言われていたころ、新間が私の悪口を並べ立てると、猪木がこの話をして、<br /><br />「あの時は本当に嬉しかった。俺たちにはそういう時代もあったんだ。<br /><br />同じ釜の飯を食ってないお前が、あまり悪口を言うな」とたしなめたという。<br /><br />新間からそれを聞かされて、「あっ、そうだったかな」と思い出したというわけだ。<br /><br />たしかにレスラー同士には、どんなにいがみ合っていても、レスラー経験のない人からそのレスラーの悪口を言われると、気を悪くすることがある。<br /><br />「喧嘩はレスラー同士がやる。背広派は黙ってろ！」と言いたくなるような、不思議な連帯感みたいなものがあるのだ。<br /><br />プロレスラーというのは、特に日本では選手数の少ない、きわめて特殊な職業だからかもしれない。<br /><br />力道山の直弟子たちに、特にこの傾向が強いようにも思う。』<br /><br /><br /><a href="http://www.bihoo.info/">ジャイアント・馬場は、心も体もデッカイ人でした。！！(のトップ)に戻る</a>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">30エピソード（自伝から）。</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">プロレス　ジャイアント馬場　アントニオ猪木</category>
            
            <pubDate>Thu, 23 Oct 2008 13:30:37 +0900</pubDate>
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            <title>甘い物は子どもの時から好きだった。</title>
            <description><![CDATA[お酒はいくらでも飲めたという事ですが、酔った事がないので、あまり好きではないと言っていました。<br /><br />でもそのかわり、甘い物には目がなかったとのことです。<br /><br />『ソバ屋でアンミツを食うのが楽しみだった。<br />甘い物には目がない。<br /><br />小豆のアンコが大好きで、三条の家にいるころは、正月の三カ日の朝だけアンコロ餅の食い放題が許され、正月が待ち遠しくて仕方なかった。<br /><br />つい先日も巡業先の会津若松で、アンコロ餅を5皿（15コ）食って呆れられたが、今でも大好物のマンジュウなら、あればあるだけ食ってしまう。』<br /><br />晩年、糖尿病になってしまったのもこのことが原因だったのでないでしょうか。<br /><br /><br /><a href="http://www.bihoo.info/">ジャイアント・馬場は、心も体もデッカイ人でした。！！(のトップ)に戻る</a>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">30エピソード（自伝から）。</category>
            
            
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            <pubDate>Thu, 23 Oct 2008 13:30:00 +0900</pubDate>
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            <title>初恋は、元子さんだった。</title>
            <description><![CDATA[馬場夫人の元子さんと会ったのは、実は、巨人軍に入団後の"宮崎県串間の巨人軍キャンプ"でのことだそうです。<br /><br />『宮崎県串間の巨人軍キャンプに参加した。<br />串間キャンプはいわゆる基礎作りで、シーズン前の本格キャンプは、兵庫県明石で行った。<br /><br />私が初めて元子に会ったのはこの時だ。<br />元子の父伊藤悌（やすし）は明石在住の、巨人軍のよき後援者だった。<br /><br />私は新人仲間2～3人と先輩千葉二塁手に連れられ、伊藤邸にご馳走になりに行った。<br /><br />まだ詰めえりの学生服を着ていたと思う。<br />元子は中学3年生だった。<br />玄関に入ると、人数分そろえられたスリッパの中に、特大サイズが一足あった。<br /><br />「ホラ、元子チャンがお前のために用意してくれたんだ」<br />千葉先輩に言われ、私は生まれて始めてスリッパをはいた。<br />特製でなければ、私がはけるはずが無い。<br /><br />何をご馳走になったのかは忘れてしまったが、とにかく私は嬉しくて嬉しくて、元子に頼んでそのスリッパをもらって帰った。<br /><br />これは多摩川の巨人軍合宿で、ポロポロになるまではいた。<br />私が東京に帰ってスリッパの礼状を出し、元子から返事が来て、二人の文通が始まったのだった。』<br /><br />そして、その当時の気持ちをこのように語っています。<br /><br />『私は小学校高学年ころから、クラスの気になる女の子をからかうぐらいはやったが、こう、もやもやとした気持ちになったのは初めてだった。<br />これが私の初恋......だったに違いない。』<br /><br />馬場青年にとって、この時から元子さんは大事な人となったわけです。<br /><br /><br /><a href="http://www.bihoo.info/">ジャイアント・馬場は、心も体もデッカイ人でした。！！(のトップ)に戻る</a>]]></description>
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            <pubDate>Thu, 23 Oct 2008 13:29:28 +0900</pubDate>
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            <title>絵が好きなのは、血筋らしい。</title>
            <description><![CDATA[馬場は、絵を描くことが好きで、引退した後はハワイでゆっくり絵を描いて暮らしたいと言っていました。<br /><br />『その絵が好きなことは、母方の血筋らしい。』と言っています。<br /><br />『母の妹はたしか明治33年ころの生まれだが、ご主人は岩田骨光、叔母は岩田マサコか旧姓の水野マサコで、夫婦そろって日本画家として美術年鑑にも載っている。』<br /><br />そして、『兄正一は書道が得意だった。<br />私もプロ野球選手になれなかったら、画家になりたいと小学生時代から思っていた。<br /><br />私の体がこんなに大きくならなかったら、多分私は画家の道を選んでいただろう。』と語っています。<br /><br /><br /><a href="http://www.bihoo.info/">ジャイアント・馬場は、心も体もデッカイ人でした。！！(のトップ)に戻る</a>]]></description>
            <link>http://www.bihoo.info/2008/10/post-17.html</link>
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            <pubDate>Thu, 23 Oct 2008 13:28:46 +0900</pubDate>
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            <title>喧嘩はしない、優しい&quot;ガキ大将&quot;。</title>
            <description><![CDATA[体も大きくなり、運動神経にも自信があった馬場少年は、かなり無鉄砲な事もしていたようです。<br /><br />『相撲も強かった。神社のお祭りでは子供の5人抜き戦が行われたが、私は負けたことがなく、行司に「お前、もうやめてくれ」　と言われたものだった。<br /><br />そんな私に、喧嘩を吹っかけて来る物好きはいなかったのだ。』<br /><br />また、『喧嘩は、これは高校時代までずっとそうだったが、売ったことも買ったこともない。<br /><br />ただ、どこかで喧嘩があって、誰かが仲裁を求めて来ることはよくあって、私が行くとたいがいは納まった。』とも語っている。<br /><br />そして、結果的には『いつの間にか私はガキ大将に祭り上げられていた。』とのことです。<br /><br /><br />この頃から、馬場の人柄がよく出ているようです、優しくて頼りがいがある、大将（兄貴分ってとこでしょうか）。<br /><br /><br /><a href="http://www.bihoo.info/">ジャイアント・馬場は、心も体もデッカイ人でした。！！(のトップ)に戻る</a>]]></description>
            <link>http://www.bihoo.info/2008/10/post-16.html</link>
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            <pubDate>Thu, 23 Oct 2008 13:27:10 +0900</pubDate>
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            <title>生まれた時は意外に小さかった。</title>
            <description><![CDATA[馬場は、子どもの時の事をこう語っています。<br /><br />『生まれた時は、未熟児というほどではないが、平均よりだいぶ小さい赤ん坊だったと聞かされている。』<br /><br />『四日町少学校に入学した時は、新入生の中で一番小さく、記念写真の撮影では、先生の隣にチョコンと座らされた。』<br /><br />小学5年生の新学期ころから、体がメキメキと大きくなり、大人並みの体になったら、家業の青果商の力仕事を手伝わされたと言っています。<br /><br /><br />また、『体が自分でも驚くほどぐんぐんと大きくなり出すと、プロ野球選手への夢もますますふくらんでいった。』と体が大きくなったことでプロ野球選手への希望を持つようになったと語っています。<br /><br /><br /><a href="http://www.bihoo.info/">ジャイアント・馬場は、心も体もデッカイ人でした。！！(のトップ)に戻る</a>]]></description>
            <link>http://www.bihoo.info/2008/10/post-15.html</link>
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            <pubDate>Thu, 23 Oct 2008 13:26:14 +0900</pubDate>
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            <title>ジャイアント馬場の出演したＣＭのこと。</title>
            <description><![CDATA[ジャイアント馬場は、数々のコマーシャルに出演しています。<br /><br />その中で私にとって、印象的だったのは、江崎グリコのジャイアントコーンとキリンビールのビアシャトルですね。<br /><br />真面目な馬場さんのあの巨体が可愛く見えたユーモラスなＣＭ、好きでしたね。<br /><br /><br />◎出稿期間 スポンサー 銘柄 商品備考 <br /><br />1970年09月～1971年02月 永大産業 永大ベニア &nbsp;<br /><br />1980年09月～1981年09月 日本専売公社 ＪＯＹ たばこ <br /><br />1981年01月～1981年01月 井関農機 トラクター &nbsp;<br /><br />1981年02月～1981年05月 近藤書店 開業 100年 &nbsp;<br /><br />1982年04月～1982年07月 日本楽器製造 マイバンド &nbsp;<br /><br />1982年05月～1982年07月 明治製菓 ジャーミー 麦茶 <br /><br />1982年09月～1982年10月 東京ガス 暖房キャンペーン &nbsp;<br /><br />1983年１月～1985年１月 フマキラー ファミレド 芳香剤 <br /><br />1983年05月～1983年07月 明治製菓 ジャーミー 麦茶 <br /><br />1983年07月～1983年08月 三菱自動車 キャンター &nbsp;<br /><br />1983年10月～1983年11月 MISTER MINIT JAPAN MISTER MINIT JAPAN 靴底 &nbsp;<br /><br />1983年12月～1984年５月 ソード オフィスコンピューター &nbsp;<br /><br />1984年３月～1984年09月 キリンビール ビアシャトル &nbsp;<br /><br />1984年09月～1984年12月 日清製油 サラダクリーム &nbsp;<br /><br />1984年10月～1984年11月 MISTER MINIT JAPAN MISTER MINIT JAPAN 合鍵 &nbsp;<br /><br />1984年03月～1984年03月 集英社 週刊ジャンプ &nbsp;<br /><br />1987年01月～1987年03月 全国信用組合中央委員会&nbsp; 金融保険業 <br /><br />1987年03月～1987年04月 江崎グリコ アイスクリーム製品総合<br /><br />1988年04月～1988年07月 新潟県　観光案内 新潟県　観光案内<br /><br />1988年10月～1989年02月 江崎グリコ グリコ　ジャイアントペロティ &nbsp;<br /><br />1988年04月～1989年06月 江崎グリコ グリコ　ジャイアントアイス &nbsp;<br /><br />1989年11月～1989年12月 江崎グリコ グリコ　チョコレート製品総合 &nbsp;<br /><br />1990年01月～1990年12月 リクルート 住宅情報誌 &nbsp;<br /><br />1990年03月～1990年04月 全日本不動産協会 全日本不動産協会<br /><br />1990年01月～1990年05月 三田工業 三田コピー &nbsp;<br /><br />1987年04月～1990年07月 江崎グリコ グリコ　ジャイアントコーン &nbsp;<br /><br />1990年09月～1990年10月 服部セイコー TWENTY-TWOレギュラー<br /><br />1987年01月～1991年03月 江崎グリコ グリコ　ジャイアントカプリコ &nbsp;<br /><br />1992年01月～1992年04月 三菱自動車工業 三菱ミニカトッポ &nbsp;<br /><br />1992年10月～1993年03月 日東化学 ソフト99　タイネット &nbsp;<br /><br />1993年01月～1993年02月 ロート製薬 ロート　メンソレータムＡＤ軟膏 &nbsp;<br /><br />1993年07月～1993年08月 日本コンピュータ・システム メサイヤ　スーパーファミコンソフト &nbsp;<br /><br />1993年04月～1993年09月 日清製粉 日清から揚げ粉 &nbsp;<br /><br />1993年10月 社会保険庁 社会保険庁 &nbsp;<br /><br />1994年03月～1994年03月 ダスキン ミスター・ドーナツお持ちカエルキャンペーン &nbsp;<br /><br />1994年05月～1994年07月 日本野球機構コミッショナー サンヨーオールスター &nbsp;<br /><br />1994年06月～1995年09月 日本電装 ＩＤＯタックスミニモ &nbsp;<br /><br />1993年10月～1994年03月 ソフト99コーポレーション ソフト99　タイネット &nbsp;<br /><br />1993年12月～1995年12月 江崎グリコ グリコ製品 &nbsp;<br /><br />1994年11月～1995年５月 日本デジタルイクイップメント オフィスコンピューター &nbsp;<br /><br />1994年12月～1994年12月 東京都 年末交通安全キャンペーン &nbsp;<br /><br />1995年03月10日 TOWER RECORDS TOWER RECORDS 朝日新聞広告 <br /><br />1995年10月～ 1995年12月 労働省 労働保険適用促進月間 &nbsp;<br /><br />1996年 7月～1996年11月 日清食品 ごんぶとん &nbsp;<br /><br />1996年11月～1996年12月 九州ブロック赤十字血液センター連盟 冬季献血キャンペーン &nbsp;<br /><br />1997年 1月～1997年12月 インターオート札幌 アップルワールド企業広告 &nbsp;<br /><br />1997年 4月～1998年 4月 ららぽーと スキードーム　ザウス &nbsp;<br /><br />1997年 5月～1999年 5月 農林中央金庫 ＪＡ貯金年金自動受取り &nbsp;<br /><br />1997年 6月～1998年 3月 ＮＴＴ九州パーソナル通信網 企業および商品広告 &nbsp;<br /><br />1998年 1月～1998年12月 章栄商事 広島県内　鉄骨住宅Le FER<br /><br />&nbsp; <br /><a href="http://www.bihoo.info/">ジャイアント・馬場は、心も体もデッカイ人でした。！！(のトップ)に戻る</a>]]></description>
            <link>http://www.bihoo.info/2008/10/post-14.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">11馬場の出演したＣＭの事。</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">20ジャイアント馬場の事。</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">プロレス　ジャイアント馬場　アントニオ猪木</category>
            
            <pubDate>Thu, 23 Oct 2008 11:53:22 +0900</pubDate>
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            <title>育てた弟子達のこと。 </title>
            <description><![CDATA[ジャイアント馬場の育てた数多い弟子達の中で５人（ジャンボ鶴田、天龍源一郎、三沢光晴、川田利明）だけですが、好きなレスラーですので紹介します。<br /><br /><br />
<div align="center">【ジャンボ鶴田】<br /></div>
<div align="center">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="ジャンボ鶴田.gif" src="http://www.bihoo.info/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9C%E9%B6%B4%E7%94%B0.gif" width="48" height="50" /></span></div><br />「プロレスに就職します」という言葉と共に全日本プロレスに入団したことは有名です。<br /><br />1983年8月には蔵前国技館において、力道山以来の日本の至宝インターナショナルヘビー級王座をブルーザー・ブロディから奪取したことにより、師匠の馬場さんから「今日からお前がエースだ。」と公式にエースと認められる。<br /><br />残念な事に、2000年5月13日Ｂ型肝炎から肝硬変を経て肝臓癌により49歳の若さで息を引き取った。<br />&nbsp;<br /><br />
<div align="center">【天龍源一郎】<br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="天龍 源一郎１.gif" src="http://www.bihoo.info/%E5%A4%A9%E9%BE%8D%20%E6%BA%90%E4%B8%80%E9%83%8E%EF%BC%91.gif" width="48" height="50" /></span><br /></div><br />天龍の四股名で西前頭筆頭まで上り詰めるが1976年9月場所、東前頭13枚目で8勝7敗と勝ち越したのを最後に廃業する。<br /><br />同年10月に全日本プロレスに入門したが、しばらくの間は、人気や評価は馬場や鶴田とは比較できないほど低いものだった。<br />&nbsp;<br />長州力率いるジャパンプロレスの参戦をきっかけに、現在も続く闘争心をむき出しにして戦うスタイルと変貌する。<br /><br />現在も現役として活躍し、日本プロレス界において『ミスター・プロレス』と呼ばれる存在となっている。<br /><br /><br />
<div align="center">【三沢光晴】<br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="misawa.gif" src="http://www.bihoo.info/misawa.gif" width="48" height="50" /></span><br /></div><br />1984年 3月8月26日　田園コロシアムにてタイガーマスクとしてデビューする。<br /><br />馬場亡き後、馬場さんの考える「王道プロレス」を継承したレスラーといえるのではないでしょうか。<br /><br />「プロレスラーもリングﾞを降りれば常識人でなければならない。」という馬場さんの教えを受けた人間であり、それを守っている誠実な人である。<br /><br />現在、プロレスリング・ノアの代表取締役社長であり、レスラーとしての実力も日本のプロレス界の頂点に位置している。 <br />&nbsp;<br /><br />
<div align="center">【川田利明】<br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="kawada.gif" src="http://www.bihoo.info/kawada.gif" width="48" height="50" /></span><br /></div><br />高校レスリング部の先輩である三沢光晴に「来るなら紹介するよ」ということで翌1982年3月に全日本プロレスに入団する。<br /><br />華々しく戦う三沢との差はかなりあったが、状況を打破すべく、天龍源一郎が掲げた「天龍同盟」に参加する。<br /><br />以降、天龍の象徴であった黒と黄色のスタイルを現在まで通している。 <br /><br />現在もフリーのレスラーとして、色々な団体で「名勝負製造機」とも言われる試合を展開してファンからも高い支持を得ている。<br /><br /><br />
<div align="center">【小橋健太】<br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="kobashi2.gif" src="http://www.bihoo.info/kobashi2.gif" width="48" height="50" /></span><br /></div><br />全日本プロレス時代、馬場さんの付き人をしていた頃、ひたすらトレーニングを重ねていた小橋を見て、休む事も練習だと馬場に言わしめた程の「練習の虫」であった。<br /><br />試合内容から、東京スポーツ主催のプロレス大賞、ＭＶＰなど、多くの受賞経験を持ち、ファンだけでなく識者からも幅広い支持を得ている。 <br /><br />現在、ノアの所属選手として活躍し、実力、人気共に国内トップクラスのレスラーの1人となっている。<br />&nbsp; <br /><br /><a href="http://www.bihoo.info/">ジャイアント・馬場は、心も体もデッカイ人でした。！！(のトップ)に戻る</a>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">10育てた弟子達の事。</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">20ジャイアント馬場の事。</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">プロレス　ジャイアント馬場　アントニオ猪木</category>
            
            <pubDate>Tue, 21 Oct 2008 18:26:02 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>引退セレモニーのこと。</title>
            <description><![CDATA[<div align="center">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="gong.gif" src="http://www.bihoo.info/gong.gif" width="30" height="30" /></span></div><br />1999年（平成11年）1月31日、馬場が亡くなり、当初は「葬儀が終わってから、マスコミに発表するつもりであった」が、直ぐにそれが知れ、報道陣が自宅マンションに詰め掛ける大騒ぎとなる。<br /><br />元子夫人の馬場に対する社会的な影響力を過小評価した結果であり、馬場の偉大さを改めて社会に知らしめる結果となる。<br /><br />馬場の死はマスコミによって大々的に報じられ、特別番組も多く組まれることになる。<br /><br />1999年（平成11年）5月2日　「ジャイアント馬場引退記念興行（東京ドーム）」と銘打たれ記念興行を開催する。<br /><br />当日、6万5000人の大観衆が見守る中、<br />ジャイアント馬場、ザ・デストロイヤー組×ブルーノ・サンマルチノ、ジン・キニスキー組という設定で過去の馬場選手の対戦シーンを編集したビデオ上映によるセレモニーを行った。<br /><br />このセレモニーの中で"サンマルチノは「あなたは体だけでなく心もジャイアントだった。」と称えた。<br /><br />また、パートナーのデストロイヤーは日本語で「社長、長い間お疲れさまでした。」と深々と頭を下げ、会場中の涙を誘った。<br />
<div align="center">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="gong.gif" src="http://www.bihoo.info/gong.gif" width="30" height="30" /></span></div><br /><br /><a href="http://www.bihoo.info/">ジャイアント・馬場は、心も体もデッカイ人でした。！！(のトップ)に戻る</a>]]></description>
            <link>http://www.bihoo.info/2008/10/post-12.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">09引退セレモニーの事。</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">20ジャイアント馬場の事。</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">プロレス　ジャイアント馬場　アントニオ猪木</category>
            
            <pubDate>Tue, 21 Oct 2008 17:22:04 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>逝去のこと。</title>
            <description><![CDATA[1998年（平成10年）12月の初旬にジャイアント馬場は、地方巡業先で、微熱が下がらないなど体調不良となり、巡業先での試合出場を取りやめ、秘書の仲田と共に帰郷することになる。<br /><br />早速、病院で検査を受けた結果、大腸癌の末期で、他の臓器にも転移が見られることが判明する。<br /><br />当然、年末恒例の海外旅行をキャンセルし入院となる。<br /><br />この事は（馬場の病状のこと...大腸癌の末期で、他の臓器にも転移）、しばらく、元子夫人にしか知らされてず、看病をしていた仲田やレフリーの和田京平らにも告げられなかった。<br /><br />また、馬場本人にも告知されることは無かったとのことです。<br /><br />元子夫人の意向で手術を行ったものの、もはや手遅れの状態で最低限の処置しかできなかったとの事です。<br /><br />年明けには集中治療室に入り、意識も次第に無くなっていったという。<br /><br />「特別室に帰りたい」との馬場の望みに従い、集中治療室から特別室に移し、延命措置も取りやめた。<br /><br />馬場はそこから2日間生き続けたが、1999年（平成11年）1月31日、東京医大病院にて、大腸癌の肝転移による肝不全により６１歳で亡くなる。<br /><br />妻の元子さんの意向により外部には命が危ないことを一切漏らしておらず、最期を看取ったのも元子夫人、姪の馬場幸子（全日本取締役）、実姉のほか、レフェリーの和田京平と秘書の仲田龍のだけであった。<br /><br />このことは、当時役員だったジャンボ鶴田やエースでマッチメイカーの三沢光晴、全日本の重鎮だったジョー樋口にさえ知らせていない。<br /><br />後日、1999年（平成11年）4月17日に日本武道館でファン葬が催され、3万8000人が参加した。<br />
<div align="right">
<div align="center"><br /></div>
<div align="center">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="ジャイアント馬場２.gif" src="http://www.bihoo.info/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E9%A6%AC%E5%A0%B4%EF%BC%92.gif" width="48" height="50" /></span></div></div>
<div><br /></div><br /><a href="http://www.bihoo.info/">ジャイアント・馬場は、心も体もデッカイ人でした。！！(のトップ)に戻る</a>]]></description>
            <link>http://www.bihoo.info/2008/10/post-11.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">08逝去の事。</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">20ジャイアント馬場の事。</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">プロレス　ジャイアント馬場　アントニオ猪木</category>
            
            <pubDate>Tue, 21 Oct 2008 17:18:47 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>得意技のこと。</title>
            <description><![CDATA[<div align="center">
<div align="center">【ジャイアント馬場の得意技】</div>
<div align="center">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><br /><a href="http://www.bihoo.info/pbaba2.gif"><img class="mt-image-none" alt="pbaba2.gif" src="http://www.bihoo.info/pbaba2-thumb-50x74.gif" width="50" height="74" /></a></span></div>
<div align="left">〔脳天唐竹割り〕<br /></div></div><br />空手チョップを相手の頭部に垂直に振り下ろす技。<br />手刀を叩きつける際に、まれに相手の頭部あるいは額を割り、流血させるほどの威力があり、相手の耳に落とす「耳そぎチョップ」という応用もある。<br /><br /><br />〔ココナッツクラッシュ（ヤシの実割り）〕<br /><br />ヘッドロックのような体勢で相手の頭を抱え込み、膝に叩きつけながら前方に相手を倒す。<br />大変見栄えのする、馬場しかできないスケールの大きな大技です。<br /><br /><br />〔十六文キック〕 <br /><br />ロープに振った相手が反動で返ってくるところにカウンターで蹴りを叩き込む。<br />全盛期は見た目も威力も必殺技としての説得力を十分に兼ね備えていた。<br /><br /><br />〔三十二文人間ロケット砲〕<br /><br />ドロップキックなのだが、馬場の巨体から繰り出されるこの技には、迫力・破壊力とも満点の技でした。<br />フォームとしては、やや下方から上方へ突き上げるような形で繰り出す。 <br /><br /><br />〔ドリル・ア・ホール・パイルドライバー（脳天杭打ち）〕<br /><br />相手の頭を自分の股にはさみ、逆さまに持ち上げてそのまま脳天をリングにたたきつける。<br />長身の馬場が使えば威力は絶大の技です。 <br /><br /><br />〔河津落とし〕<br /><br />もともとは相撲の技で、相手の投げを堪える「河津掛け」が原型とされる。<br />馬場は自分の片足を相手の片足に引っ掛け、跳ね上げながら相手の首を抱えて後方に反って倒す技にしました。 <br /><br /><br />〔アームブリーカードロップ（腕折落とし）〕<br /><br />相手の手首を掴みながら腕にまたがり、そのまま全体重をかけてマットに相手ごと落とす技。<br /><br /><br />〔コブラツイスト（アバラ折り）〕<br /><br />長身の為に威力は抜群で、アメリカ遠征中によく使っていた。<br />晩年まで使い続け、「ジャイアント・コブラツイスト」などとも呼ばれた。 <br /><br /><br />〔ジャイアント・ギロチンドロップ（レッグドロップ）〕<br /><br />全盛期のフィニッシュ技。<br />倒れている相手めがけて膝裏を落とす。 <br /><br /><br />〔ジャイアント・バックブリーカー（巨人式背骨折り）〕 <br /><br />馬場のオリジナル複合ストレッチ技。<br />スタンディングで後方からコブラクラッチを決め、そのまま相手体を反らせながら自らの片膝をマットに付け、相手の背中を自らの片膝頭に押し付ける。 <br /><br /><br />〔ランニングネックブリーカードロップ（首折り落とし）〕<br /><br />ジャイアント馬場自身が考案した技。<br />ロープに振った相手が反動で返ってくるところに、自らも走りこんで首に腕を掛けそのままマットに叩きつける。<br /><br /><br />☆実は馬場は、巨体に似合わず器用なところもあり、色々な関節技や寝技も使っていました。<br /><br />例えば、あの巨体でスモールパッケージホールドなど意外な技も使っていたし、<br /><br />新しい技や相手の得意技（ラリアットやＤＤＴなど）も時に使う事もありました。<br /><br /><br /><a href="http://www.bihoo.info/">ジャイアント・馬場は、心も体もデッカイ人でした。！！(のトップ)に戻る</a>]]></description>
            <link>http://www.bihoo.info/2008/10/post-4.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">07得意技の事。</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">20ジャイアント馬場の事。</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">プロレス　ジャイアント馬場　アントニオ猪木</category>
            
            <pubDate>Tue, 21 Oct 2008 16:15:34 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>タイトルのこと。</title>
            <description><![CDATA[<div align="center">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="pwf.gif" src="http://www.bihoo.info/pwf.gif" width="48" height="50" /></span></div><br />
<div align="center">[ジャイアント馬場の獲得タイトル]<br /></div><br />〇アジアタッグ王座（3度獲得）<br /><br />第11代（防衛7回）、第13代（防衛3回）...パートナーは豊登<br />第17代（防衛4回）...パートナーは吉村道明<br /><br /><br />〇アジアヘビー級王座<br /><br />第6代王者（大木金太郎から奪取...1度も防衛戦を行わずに返上）<br /><br /><br />〇NWA世界タッグ（1度獲得）<br /><br />歴代は不明（防衛0回）...パートナーはジャンボ鶴田<br />（1度も防衛を行わずにタイトルを返上）<br /><br /><br />〇NWA世界ヘビー級王座<br /><br />第49代（防衛1回）、第55代（防衛1回）、第57代（防衛0回）<br />
<div align="center">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="pwf.gif" src="http://www.bihoo.info/pwf.gif" width="48" height="50" /></span></div>〇インターナショナル・ヘビー級王座<br /><br />第3代（防衛21回）、第5代（防衛18回）、第7代（防衛10回）<br /><br /><br />〇PWFヘビー級王座<br /><br />初代（防衛38回）、第5代（防衛15回）、第7代（防衛3回）、第9代（防衛3回）<br /><br /><br />〇インターナショナル・タッグ王座（12度獲得）<br /><br />第7代 (防衛7回)...パートナーは吉村道明<br />第9代（防衛0回）、第10代（防衛11回）、第12代（防衛4回）<br /><br />第14代（防衛14回）...パートナーはアントニオ猪木<br /><br />第16代（防衛2回）...パートナーは坂口征二<br /><br />第23代（防衛12回）、第25代（防衛2回）、第27代（防衛9回）、第29代（防衛19回）、第31代（防衛1回）、第33代（防衛4回）...パートナーはジャンボ鶴田<br /><br /><br />〇チャンピオン・カーニバル（7度優勝）<br /><br />1973年、1974年、1975年、1977年、1978年、1981年、1982年<br />
<div align="center">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="pwf.gif" src="http://www.bihoo.info/pwf.gif" width="48" height="50" /></span></div><br /><a href="http://www.bihoo.info/">ジャイアント・馬場は、心も体もデッカイ人でした。！！(のトップ)に戻る</a>]]></description>
            <link>http://www.bihoo.info/2008/10/post-10.html</link>
            <guid>http://www.bihoo.info/2008/10/post-10.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">06タイトルの事。</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">20ジャイアント馬場の事。</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">プロレス　ジャイアント馬場　アントニオ猪木</category>
            
            <pubDate>Mon, 20 Oct 2008 18:56:16 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>プロレスラーとしての実績のこと。</title>
            <description><![CDATA[<div align="center">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="ジャイアント馬場１.gif" src="http://www.bihoo.info/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E9%A6%AC%E5%A0%B4%EF%BC%91.gif" width="48" height="50" /></span></div><br />
<div align="center">[日本プロレス時代]<br /></div><br />1960年9月30日(昭和35年9月30日)<br />台東体育館　対田中米太郎戦でプロレスラーとしてデビュー（股裂きで初勝利）。<br /><br />1961年7月1日(昭和36年7月1日)<br />初渡米。芳の里、マンモス鈴木とともに武者修行。<br /><br />1961年8月25日(昭和36年8月25日)<br />サンディエゴ　アート・マハリックを相手にアメリカマットデビュー。<br /><br />1962年6月(昭和37年6月)<br />シカゴ　アンフェシアターでＮＷＡ王者バディ・ロジャースへの挑戦。<br /><br />1963年2月4日(昭和38年2月4日)<br />ロサンジェルス　オリンピック・オーデトリアムでＷＷＡ王者ザ・デストロイヤーに挑戦（反則勝ちを収めるも規定により王座は獲得ならず）。<br /><br />1963年3月17日(昭和38年3月17日)<br />力道山とともに凱旋帰国。<br /><br />1963年3月22日(昭和38年3月22日)<br />第５回ワールドリーグ参加。<br />馬場正平からジャイアント馬場のリングネームとなる（４勝２敗１分けの好成績）。<br /><br />1963年10月7日(昭和38年10月7日)<br />再度渡米武者修行へ。<br /><br />1964年2月5日(昭和39年2月5日)<br />デトロイト　オリンピック・スタジアムでＮＷＡ王者　ルー・テーズに挑戦（２対１で敗れる）。<br /><br />1964年2月17日(昭和39年2月17日)<br />ニューヨーク　マジソン・スクエア・ガーデンでＷＷＷＦ王者ブルーノ・サンマルチノに挑戦（引き分け）。<br /><br />1964年2月28日(昭和39年2月28日)<br />ロサンジェルス　ＷＷＡ王者フレッド・ブラッシーに挑戦。<br /><br />1964年4月3日(昭和39年4月3日)<br />帰国、即第６回ワールドリーグ参加。<br /><br />1964年5月29日(昭和39年5月29日)<br />札幌で豊登と組んでキニスキー＆ハリケーン組からアジアタッグ選手権奪取。<br /><br />1964年12月(昭和39年12月)<br />３度目の渡米。<br /><br />1965年11月24日(昭和40年11月24日)<br />ＮＷＡ代表のディック・ザ・ブルーザーを下し、復活インターナショナル・ヘビー級王座のチャンピオンとなる。<br /><br />1966年2月28日(昭和41年2月28日)<br />東京体育館にてルー・テーズからインターナショナル王座を防衛。<br /><br />1966年11月5日(昭和41年11月5日)<br />吉村道明とのコンビでインターナショナルタッグ王座を奪取。<br /><br />1966年12月3日(昭和41年12月3日)<br />日本武道館　フリッツ・フォン・エリックを相手にインターナショナル王座７度目の防衛。<br /><br />1967年3月2日(昭和42年3月2日)<br />蔵前国技館　ＷＷＷＦ世界王者ブルーノ・サンマルチノを相手にインターナショナル王座を防衛。<br /><br />1967年5月17日(昭和42年5月17日)<br />横浜文化体育館　ザ・デストロイヤーを下し、ワールドリーグ２度目の優勝。<br /><br />1967年10月31日(昭和42年10月31日)<br />アントニオ猪木とインターナショナルタッグを奪取。<br /><br />1968年8月7日(昭和43年8月7日)<br />大阪球場　ブルーノ・サンマルチノを相手にインター王座防衛。<br /><br />1968年12月6日(昭和43年12月6日)<br />現役ＮＷＡ世界王者　ジン・キニスキーを相手にインター王座防衛。<br /><br />1969年9月13日(昭和44年9月13日)<br />ロサンジェルス　オリンピック・オーデトリアムでザ・シークを相手にインター王座を成功。<br /><br />1969年12月3日(昭和44年12月3日)<br />ＮＷＡ世界王者　ドリー・ファンク・ジュニアと60分時間切れ。<br /><br />1970年5月20日(昭和45年5月20日)<br />ドン・レオ・ジョナサンを下し、ワールド・リーグ戦制覇。<br /><br />1970年7月30日(昭和45年7月30日)<br />ＮＷＡ世界王者　ドリー・ファンク・ジュニアと52分35秒両者リングアウト。<br /><br />1971年5月19日(昭和46年5月19日)<br />ワールド・リーグ戦優勝。<br /><br />1972年5月12日(昭和47年5月12日)<br />ワールド・リーグ戦優勝。<br />この生中継を最後に日本テレビは日本プロレスの中継を終了。<br /><br />1972年7月29日(昭和47年7月29日)<br />日本プロレスに辞表提出。 <br /><br />1972年8月18日(昭和47年8月18日)<br />日本プロレスでのラストファイト。１２年４か月在籍。<br /><br />
<div align="center">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="ジャイアント馬場１.gif" src="http://www.bihoo.info/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E9%A6%AC%E5%A0%B4%EF%BC%91.gif" width="48" height="50" /></span></div><br />
<div align="center">[全日本プロレス時代]<br /></div><br />1972年9月9日(昭和47年9月9日)<br />全日本プロレス設立発表。<br /><br />1972年10月21日(昭和47年10月21日)<br />全日本プロレス旗揚げ試合。<br /><br />1972年10月22日(昭和47年10月22日)<br />日大講堂で世界ヘビー級ベルトをかけてブルーノ・サンマルチノと対戦（引き分け）。<br /><br />1972年12月9日(昭和47年12月9日)<br />ザ・デストロイヤーを下し、陣営に引き入れる。<br /><br />1973年2月(昭和48年2月)<br />全日本プロレス　ＮＷＡ加盟。<br /><br />1973年2月27日(昭和48年2月27日)<br />東京体育館　ボボ・ブラジルを破り、世界選手権争覇戦を終了。<br />インタ王座のベルトを巻く。 <br /><br />1973年3月16日(昭和48年3月16日)<br />ＰＷＦ世界ヘビー級初代王者に認定される。 <br /><br />1973年4月21日(昭和48年4月21日)<br />福井　マーク・ルーインを下し、第１回チャンピオン・カーニバル制覇。<br /><br />1973年10月9日(昭和48年10月9日)<br />凱旋帰国の鶴田友美デビュー戦でパートナーをつとめ、ザ・ファンクスと対戦。<br /><br />1974年6月24日(昭和49年6月24日)<br />10年ぶりにマジソン・スクエア・ガーデンに出場、ゴリラ・モンスーンを倒す。<br /><br />1974年12月2日(昭和49年12月2日)<br />鹿児島　ジャック・ブリスコを下し、第４９代ＮＷＡ世界ヘビー級王者となる（日本人初の快挙）。<br /><br />1975年5月3日(昭和50年5月3日)<br />日大講堂　ブルーノ・サンマルチノとＷＷＷＦ，ＰＷＦダブルタイトルマッチ。<br /><br />1975年7月25日(昭和50年7月25日)<br />日大講堂　フリッツ・フォン・エリックをテキサス・デスマッチで倒す。<br /><br />1975年12月2日(昭和50年2月2日)<br />オープン選手権開催。<br /><br />1975年12月11日(昭和50年12月11日)<br />力道山１３回忌特別興行。<br /><br />1975年12月18日(昭和50年12月18日)<br />川崎市体育館　ホースト・ホフマンを下し、オープン選手権優勝。<br /><br />1976年7月24日(昭和51年7月24日)<br />ビル・ロビンソンを相手にＰＷＦ王座を防衛。<br /><br />1977年5月14日(昭和52年5月14日)<br />ジャンボ鶴田を下し、チャンピオン・カーニバル優勝。<br /><br />1977年10月29日(昭和52年10月29日)<br />大木金太郎とＰＷＦ、アジアのダブルタイトルマッチに勝利。<br /><br />1977年12月2日(昭和52年12月2日)<br />世界オープン・タッグ選手権開催。<br /><br />1978年4月7日(昭和53年4月7日)<br />仙台　ブッチャーを下し、チャンピオン・カーニバル優勝。<br /><br />1978年12月15日(昭和53年12月15日)<br />ジャンボ鶴田と組み世界最強タッグ決定リーグ戦優勝。<br /><br />1979年2月10日(昭和54年2月10日)<br />シカゴ　アブドーラ・ザ・ブッチャーからＰＷＦ王座を奪還。<br /><br />1979年8月26日(昭和54年8月26日)<br />東京スポーツ社主催「夢のオールスター戦」開催。<br /><br />1979年10月31日(昭和54年10月31日)<br />愛知　ハーリー・レイスからＮＷＡ世界王座を奪取（第５５代王者に２度目の戴冠）。<br /><br />1980年4月25日(昭和55年4月25日)<br />高知　ザ・シークとのシングルマッチ（国内公式戦３０００試合連続出場記録）。<br /><br />1980年6月18日(昭和55年6月18日)<br />ハワイ　１８人参加のバトルロイヤルに出場。アンドレ・ザ・ジャイアントと初顔合せ。<br /><br />1980年6月28日(昭和55年6月28日)<br />デトロイト　タッグ王座決定ワンナイトトーナメントにジャンボ鶴田とのコンビで出場（見事優勝）。<br /><br />1980年9月4日(昭和55年9月4日)<br />佐賀　ハーリー・レイスより３度目のＮＷＡ世界王座奪取（第５７代王者）。<br /><br />1980年12月11日(昭和55年12月11日)<br />世界最強タッグ決定リーグ戦（ジャンボ鶴田とのコンビで優勝）。<br /><br />1981年1月18日(昭和56年1月18日)<br />ＡＷＡ世界、ＰＷＦダブルタイトルマッチ　バーン・ガニア（引き分ける）。<br /><br />1981年4月30日(昭和56年4月30日)<br />大阪　ブルーザー・ブロディからフォール勝ちを奪い、チャンピオン・カーニバル優勝。<br /><br />1981年10月9日(昭和56年10月9日)<br />全日本プロレス創立１０周年記念興行。<br />ブルーノ・サンマルチノと組んでタイガー・ジェット・シン、上田馬の介組と対戦 。<br /><br />1982年2月4日(昭和57年2月4日)<br />東京体育館　スタン・ハンセンと初対決、ＰＷＦ王座を防衛。<br /><br />1982年4月16日(昭和57年4月16日)<br />第１０回チャンピオン・カーニバル７度目の優勝。<br /><br />1983年2月11日(昭和58年2月11日)<br />ミズーリ州セントルイス　ハーリー・レイスよりＰＷＦ王座を奪回。<br /><br />1984年4月25日(昭和59年4月25日)<br />横浜での試合で首を負傷。連続試合出場記録が３７１１でストップ。<br /><br />1984年6月22日(昭和59年6月22日)<br />新日本プロレス興行との業務提携を発表。<br /><br />1984年7月31日(昭和59年7月31日)<br />蔵前国技館　スタン・ハンセンよりＰＷＦ王座を奪還。<br /><br />1985年6月21日(昭和60年6月21日)<br />日本武道館　ラッシャー木村を破りＰＷＦ防衛。<br /><br />1985年10月21日(昭和60年10月21日)<br />両国国技館　世界初のＮＷＡ，ＡＷＡ世界ダブルタイトルマッチを実現させる。<br /><br />1987年10月1日(昭和62年10月1日)<br />キャピトル東急ホテルで全日本プロレス創立１５周年記念パーティー。<br /><br />1988年10月28日(昭和63年10月28日)<br />ラッシャー木村との義兄弟タッグ実現。<br /><br />1989年2月25日(平成1年2月25日)<br />義兄弟タッグで世界タッグ挑戦。<br /><br />1990年4月14日(平成2年4月14日)<br />東京ドーム　「日米レスリングサミット」開催。<br /><br />1990年9月30日(平成2年9月30日)<br />後楽園ホール　デビュー３０周年記念特別試合。<br />アブドーラ・ザ・ブッチャーと組んでアンドレ・ザ・ジャイアント＆スタン・ハンセン組と対戦。<br /><br />1990年11月30日(平成2年11月30日)<br />帯広　試合中、左大腿骨亀裂骨折（三か月の入院）。<br /><br />1991年6月1日(平成3年6月1日)<br />日本武道館　「復活の日」（１８３日ぶりの復帰戦を飾る）。<br /><br />1992年10月21日(平成4年10月21日)<br />日本武道館　旗揚げ２０周年記念試合。<br /><br />1993年4月20日(平成5年4月20日)<br />福島体育館　前人未到の５０００試合出場。<br /><br />1993年6月1日(平成5年6月1日)<br />日本武道館　５０００試合達成記念試合。<br /><br />1994年3月5日(平成6年3月5日)<br />日本武道館　ファン投票による「夢のカード」出場。<br />スタン・ハンセンと組んで三沢光晴、小橋健太組と対戦。<br /><br />1995年3月24日(平成7年3月24日)<br />後楽園ホール　川田利明、田上　明と組んでスタン・ハンセン、三沢光晴、小橋健太と対戦。<br /><br />1995年10月25日(平成7年10月25日)<br />日本武道館　デビュー３５周年記念試合。<br />スタン・ハンセン、ジャンボ鶴田と組み、田上明、大森隆男、本田多聞に快勝。<br /><br />1996年9月29日(平成8年9月29日)<br />後楽園ホール　デビュー３６周年記念試合。<br /><br />1996年10月18日(平成8年10月18日)<br />日本武道館で旗揚げ２４周年記念試合。<br /><br />1997年9月26日(平成9年9月26日)<br />キャピトル東急ホテル　旗揚げ２５周年記念パーティー。<br /><br />1997年10月21日(平成9年10月21日)<br />日本武道館　旗揚げ２５周年記念試合出場。<br /><br />1998年1月23日(平成10年1月23日)<br />後楽園ホール　還暦記念試合。<br />リング上で川田利明、小橋健太、渕　正信組と対戦（ジャンピング・ネックブリーカーで渕から見事フォールを奪う）。<br /><br />1998年5月1日(平成10年5月1日)<br />全日本プロレス単独としては初の東京ドーム興行開催（５万８３００人の大観衆を集める）。<br />ハヤブサ、志賀賢太郎と組んで新崎人生、ジャイアント・キマラ、泉田　純組と対戦し、快勝 。<br /><br />1998年12月5日(平成10年12月5日)<br />年内最終戦の日本武道館大会出場（国内通算５７５８戦目）。<br />シリーズ終了後、検査入院に入る。 <br /><br />1999年1月2日(平成11年1月2日)<br />新春シリーズは欠場。<br /><br />1999年1月31日(平成11年1月31日)<br />午後４時４分、肝不全により永眠。<br /><br />1999年2月2日(平成11年2月2日)<br />自宅にて密葬。戒名は顕峰院法正日剛大居士。<br /><br />1999年4月17日(平成11年4月17日)<br />最後のリングとなった日本武道館　ジャイアント馬場　お別れの会「ありがとう」。<br /><br />1999年5月2日(平成11年5月2日)<br />東京ドームにてジャイアント馬場『引退』記念興行を開催。<br /><br />
<div align="center">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="ジャイアント馬場１.gif" src="http://www.bihoo.info/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E9%A6%AC%E5%A0%B4%EF%BC%91.gif" width="48" height="50" /></span></div><br /><br /><a href="http://www.bihoo.info/">ジャイアント・馬場は、心も体もデッカイ人でした。！！(のトップ)に戻る</a>]]></description>
            <link>http://www.bihoo.info/2008/10/post-9.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">05レスラーとしての実績の事。</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">20ジャイアント馬場の事。</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">プロレス　ジャイアント馬場　アントニオ猪木</category>
            
            <pubDate>Mon, 20 Oct 2008 18:48:40 +0900</pubDate>
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            <title>全日本プロレス時代のこと。</title>
            <description><![CDATA[<div align="center">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a href="http://www.bihoo.info/pbaba2.gif"><img class="mt-image-none" alt="pbaba2.gif" src="http://www.bihoo.info/pbaba2-thumb-50x74.gif" width="50" height="74" /></a></span></div><br />1972年(昭和47年)9月9日に全日本プロレス設立を発表し、<br /><br />10月21日には、全日本プロレス旗揚げ試合をおこなっています。<br /><br />これからが、馬場のやりたかった"ジャイアント馬場のプロレス"の始まりではないでしょうか。<br /><br />しかしまた、このジャイアント馬場の全日本プロレス（全日）の設立が、<br /><br />アントニオ猪木の新日本プロレス（新日）の２大プロレス団体との死闘の始まりでもありました。<br /><br />この馬場と猪木のプロレス以外での戦いも含めて、面白かったですね、<br /><br />共に個性の塊同士のあの当時の戦いに一喜一憂した物です。<br /><br />唯（ただ）この時代のジャイアント馬場は、"プロレスの王道"を歩み、<br /><br />一方のアントニオ猪木は、"闘魂"を旗印にプロレスから格闘技まで広く戦いの場を求めたのと対照的でした。<br /><br /><br />最後亡くなるまで前人未到の通算5769試合を行い、<br /><br />多くの弟子を育てた功績はあの大きな体以上に大きなものとなっている事と思います。<br /><br /><br /><a href="http://www.bihoo.info/">ジャイアント・馬場は、心も体もデッカイ人でした。！！(のトップ)に戻る</a>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">04全日本プロレス時代の事。</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">20ジャイアント馬場の事。</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">プロレス　ジャイアント馬場　アントニオ猪木</category>
            
            <pubDate>Mon, 20 Oct 2008 18:47:15 +0900</pubDate>
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            <title>日本プロレス時代のこと。</title>
            <description><![CDATA["日本プロレス"時代の馬場が活躍するのは、力道山亡き後のことです。<br /><br />1963年力道山が亡くなり、遠征中のアメリカから急遽帰国する事になり、<br /><br />吉村道明、大木金太郎、アントニオ猪木等と共に、その後の"日本プロレス"を支えることになります。<br /><br />
<div align="center">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a href="http://www.bihoo.info/yashinomi.gif"><img class="mt-image-none" alt="yashinomi.gif" src="http://www.bihoo.info/yashinomi-thumb-50x74.gif" width="50" height="74" /></a></span></div><br />1965年頃にはインターナショナル・ヘビー級王座を獲得し、実質的な"日本プロレス"のエースとなっていきます。<br /><br />その後も吉村道明や坂口征二、さらにはアントニオ猪木とのいわゆるＢＩ砲タッグでインターナショナルタッグ王座を獲得するなど華々しい活躍を見せていきます。<br /><br />この当時、インター王座防衛をブルーノ・サンマルチノやジン・キニスキー等の一流レスラーと対戦し何回も防衛をしています。<br /><br />また、その当時世界最高峰といわれていたＮＷＡの世界王者ドリー・ファンク・ジュニアに挑戦したりと、まさしく世界のジャイアント馬場としての名前が広まっていった時期です。<br /><br />その後の"日本プロレス"のトラブルにより、会社を退社し、後に"全日本プロレス"を設立するわけです。<br /><br />そのいきさつは、よく判らない事も多く、色々な人間関係の中でのいざこざもあるようなので、ここでは省きます。<br /><br /><br /><a href="http://www.bihoo.info/">ジャイアント・馬場は、心も体もデッカイ人でした。！！(のトップ)に戻る</a>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">03日本プロレス時代の事。</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">20ジャイアント馬場の事。</category>
            
            
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            <pubDate>Mon, 20 Oct 2008 18:45:48 +0900</pubDate>
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